無名なバンドの物語

人生

この記事はパパ考えたストーリーだ。

でも、このストーリーにも意味がある。

最後にその意味が分かると思う。

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2004年12月24日20:35

2004年12月24日20:35分。

僕たちの目の前でたけしはトラックにはねられ帰らぬ人に。

 

僕たちはハイテンというロックバンド。

ボーカルはまさひろ(僕)とたけし、ギターはつとむ、ベースはひであき、ドラムはまこと、ターンテーブルはゆうじ、6人組のイケイケグループだった。

 

年末にライブを控えていたため、毎晩スタジオで練習。

この日もバンド練習で、20:00に渋谷駅に集合していた。

たけし以外のメンバーはね。

 

たけしはどうやら残業で少し遅れるらしい。

たけしを待ちながら僕たちはライブのセットリスト(曲順)を考えていた。

曲数が少ないバンドだから、なんとなくいつもの流れがあるんだけど、今回は少しだけ違うことがあった。

それは新曲をやるということ。

 

何日か前のミーティングで新曲を作って年末のライブでやろうって話になった。

そのミーティングでたけしが「今回の歌詞は俺に書かせてくれ!」と言ってきた。

みんな驚きながらも、「じゃあ作詞はお前に任せるよ」と笑顔で承諾。

 

基本的に作詞作曲は僕の担当で、バンドメンバー全員で編曲をするのが僕たちのスタイルだった。

だからたけしの急な提案にみんなビックリしたけど、たけしには考えがあった。

実はたけしの彼女のお腹には、たけしの子供がいた。

その子供に向けて歌詞を書きたいってのがたけしの考えだった。

 

新曲をどこでやろうかと話していると、遠くからうるさいバイクの音が聞こえてきた。

たけしだった。

たけしのバイクはうるさい渋谷の交差点でも、全ての音をかき消すくらいの大きな音だからすぐに分かった。

 

交差点の信号が青になりたけしが前に進んだ瞬間事件は起きた。

横からトラックが信号無視してたけしをバイクごと弾き飛ばした。

僕らは血の気が引いた。

ヤバいと思いダッシュでたけしのもとへ。

たけしは血だらけで意識がない。

まことがすぐに救急車を呼んだ。

僕とまことは救急車に乗り、他のメンバーはタクシーで病院に向かった。

 

僕とまことはずっと声をかけ続けたが、病院に付く前にたけしは息を引き取った。

2004年12月24日20:35分だった。

 

ダウンジャケットのポケットに

たけしの葬式が終わり、僕らは無言で葬儀場の外に座り込んでいた。

誰も口を開こうともしない。

辛すぎて言葉が出なかった。

 

するとたけしのお母さんと、たけしの彼女が僕らのところに来た。

お母さんも彼女も辛いはずなのに、すごく僕らのことを気遣ってくれた。

とても笑顔でね。

本当に心が痛いというか、心が重いというか、何とも言えない気持ちだった。

 

僕たちはお母さんと彼女に挨拶をして帰ろうとしたら「これ…」と小さな声で彼女が僕に1枚の紙を渡してきた。

少し血がついた紙だった。

その紙を見た瞬間僕は涙が溢れ出てきた。

その紙には新曲の歌詞が書いてあった。

亡くなったたけしのダウンジャケットのポケットに入っていたらしい。

 

僕は廃人に

僕らはたけしが亡くなってから、進むことも辞めることもできずに立ち止まっていた。

年末に控えていたライブも当然キャンセル。

毎日ただただ消化するだけだった。

 

バンドメンバーで集まることもなく、外出することもなく、会社と家の往復だけ。

完全に廃人となってしまった僕。

いや。

僕だけじゃない。

バンドメンバー全員がそうだった。

個々に連絡を取り合うこともあったけど、1年くらいバンドメンバーで集まることはなかった。

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久々の再会

2006年3月、バンドメンバーのひであきが結婚するってことで、久しぶりにバンドメンバーが集まった。

みんな変わってなかった。

ただ、たけしがいないってことを除いてね。

 

ひであきの結婚のおかげで久しぶりに心から笑顔になれた気がした。

ここ1年心から笑えることなんて全くなかったからね。

僕らのテーブルはめちゃくちゃ騒がしかった。

みんな仲間との再会を喜び、仲間の結婚を喜び、ハイテンション。

この時思った。

そういえば僕たちってイケイケで、いつでもハイテンションで人生を思いっきり楽しんでた。

バンド名の由来もハイテンションから来てるからね。

 

そう。

僕たちのバンド名は「ハイテン」。

ハイテンションのションを取っただけのシンプルな名前。

 

そんなハイテンのテーブルをニコニコしながら見てる1人の女性がいた。

横にはベビーカーがあり、赤ちゃんが寝ていた。

きっと新婦の友達かなぁって思って気にはしなかった。

すると赤ちゃんが泣きだした。

その女性は赤ちゃんを抱っこして、僕らのテーブルに近づいてきた。

そして笑顔で「久しぶり」と言ってきた。

 

僕らは顔を見合わせて、心の中で「誰?」となった。

すると僕らの戸惑った顔を見ていた新郎のひであきが「おいおい!忘れちまったのかよ?」と笑いながら近づいてきた。

ひであきは女性の肩をポンと叩いて「ゆみだよ!ゆみ!」。

 

僕の頭の中は脳みそがフル回転。

ゆみって誰だ?

数秒考えて「あっ!たけしの彼女だ!」。

やっと気が付いた。

 

僕を含めバンドメンバーは、たけしの彼女とは数回しか会ったことがなく、更に当時ガングロギャルだった面影が全くなくて分からなかった。

これは新郎のひであきからのサプライズだった。

実はひであきの嫁さんとたけしの彼女が友達だったことから、僕らを驚かせようとサプライズを考えていたらしい。

 

「えっ?てことは、この赤ちゃんって…」

そう。

たけしの子供だった。

名前は「かいと」。

たけしそっくりで生意気そうな顔してるけど、めちゃくちゃ可愛かった。

なんだかたけしを見てるみたいで、変な気持ちだった。

 

結婚式も終わり、2次会、3次会と僕たちは朝まで飲み続けた。

たけしの彼女も子供をお母さんに預けて朝まで付き合ってくれた。

でも不思議なことにバンドの話は全く出なかった。

とりあえずみんな元気で良かったよ。

 

2017年8月

ひであきの結婚式以来、バンドメンバーでよく遊ぶようになった。

もちろんたけしの彼女とかいとも一緒にね。

更にバンドメンバーは全員結婚して子持ちになったから、遊ぶときは毎回お祭り騒ぎ。

音楽爆音で踊って歌って、まぁ近所迷惑だった。

でもこうしてまたみんなで笑い合える日が来たってのは素直に嬉しいこと。

もちろんたけしのことは今でも忘れちゃいない。

必ず話題になるからね。

 

かいとは中学生になってすでにバンドを組んで活動中らしい。

さすがたけしの子供だな。

相変わらず生意気そうな顔もたけしそっくり。

みんなそれぞれが楽しく幸せに過ごしていた。

 

でも僕は最近思う。

ハイテンというバンドについて。

このままでいいのか?

どういう形にしろ、ケジメはつけなくちゃいけない。

僕たちを応援してくれてたファンや仲間もたくさんいた。

何かしなきゃいけないと思う。

たけしが亡くなって約13年。

でもバンドメンバーにこの話をすることができない僕がいた。

 

2004年12月24日から、僕たちはずっと止まりっぱなしだ。

このシンプルな言葉が心に引っかかって口から出てこない。

 

大切な仲間との出会いが僕を動かした

僕は仕事の関係で、あるビックな女性アーティストと出会った。

日本国民だけじゃなく世界的にも知名度の高い、引退を控えた女性歌手だ。

歳が近いってこともあってすぐに意気投合。

家族ぐるみでの付き合いが始まった。

 

僕も、僕の嫁も子供たちも、この女性アーティストの大ファン。

こんなすごい人とプライベートで交流持てるって夢みたいだった。

この女性アーティストとは週一くらいのペースで会っていた。

どうでもいい話から深い話まで、何でも話せる仲になった。

 

ある日僕の家でBBQをやっていた時のこと。

僕がやっていたバンドのこと、立ち止まった経緯などを全て話した。

そしたらその女性アーティストは、真剣な顔で僕にこう言った。

 

「一歩踏み出さなきゃダメだよ!応援してくれてたファンや仲間にも失礼だよ!」

「確かに辛いかもしれないけど、このままじゃ亡くなったたけし君だって辛いと思うよ!」

「それに、このままじゃ一生心の中に何か引っかかったままになっちゃうよ!」

「どんな形でもいいから動かなきゃ!」

「もう13年も経ってるのになにやってんの?」

 

かなり強めの言葉に圧倒されて言葉が出なかった。

というより言ってる言葉が正論過ぎて返す言葉が見つからなかった。

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ハイテンが動く

女性アーティストに説教されて僕は考えた。

いや。

考えたというより再確認した。

最初から分かっていたこと。

僕らは何かやらなきゃ一生何かを背負い続け、いつか後悔する日が来ることを。

でも言葉に出せなかった。

行動できなかった。

そんな自分が情けない。

 

翌日メンバー全員に連絡して集まることになった。

13年前にいつもミーティングで使っていたファミレスだ。

僕がこの場所にメンバーを呼んだことで、メンバー全員が全てを悟った。

ミーティングはすぐに終わった。

 

2017年12月24日、たけしの命日に僕らの夢だったZepp Tokyoでワンマンライブを決行。

仲間の女性アーティストのおかげで、ようやく僕たちは一歩踏み出せた。

 

感謝

久しぶりのバンド練習がスタートしたけど、意外と覚えてるものだ。

全ての曲がスムーズにできた。

ただ、たけしがいない分、僕の負担が増えたけどそこは難なくクリア。

 

そしてたけしの書いた歌詞に曲を乗せる作業をみんなでやった。

更に仲間の有名な女性アーティストに頼んで、1曲だけ一緒に作りライブに参加してもらうことに。

準備は順調に進んで行った。

女性アーティストも多忙なのに毎日僕たちの練習に付き合ってくれた。

本当に感謝しかない。

 

ライブの告知はSNSや僕のブログ、ほったらかしになっていたバンドのホームページを使って宣伝。

意外と昔のファンがたくさん反応してくれて本当に嬉しかった。

その反面申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

こんなに待たせちゃって。

でもこのお詫びはZepp Tokyoで僕らがファンや仲間たちを楽しませること。

これしかない思った。

 

ハイテン復活からの衝撃発表が

2017年12月24日 20:35。

ライブは始まった。

会場はほぼ満員。

僕らみたいな無名なバンドのために、こんなに集まってくれて本当に嬉しかった。

 

とりあえずMCなしで6曲を全力でやった。

お客さんも全力だった。

ここでようやく僕が喋り始めた。

 

「たけしがいなくなってから、僕たちは進むことも止めることもできなかった」

「このままじゃいけないって思いはあった」

「でも言葉に出せなかったし、動けなかった」

「ハイテンが止まってから13年、僕らを動かしてくれた大切な仲間がいます」

「その仲間と一緒に曲を作ってきたので聞いてください」

 

イントロが始まり女性アーティストが登場すると、会場は黄色い声援に包まれて、今日一番に盛り上がった。

そりゃあそうでしょう。

誰もが知ってる世界的に有名なアーティストだからね。

この盛り上がりは次の曲まで続いた。

そして僕が再び静かに話始めた。

 

「13年前の今日、僕らの目の前でたけしは亡くなりました」

「次のライブでは新曲の作詞をたけしが担当してやるはずだったのに」

「亡くなったたけしのダウンジャケットのポケットから1枚の紙が出てきました」

「そこには新曲の歌詞が書いてありました」

「かいと!こっち来い!」

 

僕はステージ脇で見ていたかいとをステージに呼んだ。

 

「こいつはたけしの息子のかいと」

「この紙にはかいとに向けた歌詞が書いてありました」

「僕らはこの歌詞に曲を乗っけて、かいとに送ります」

「きっとたけしも天国から一緒に歌ってくれると思います」

「おもいっきり騒いでください!」

 

曲が始まり順調に歌っていた僕の目に、ステージ脇で泣きながら曲を聞いていた、たけしの彼女とかいとの姿が映った。

僕は歌いながら涙が溢れだし、途中から歌えなくなった。

すると間奏で女性アーティストが入ってきて一緒に歌って助けてくれた。

そしてライブは終了。

なんとかやり切った。

 

会場では鳴り止まないアンコールの声。

これは昔の流れもあってなんとなく予想はしていたので、2曲準備をしていた。

僕たちはステージに戻り、僕が観客に一言。

「みんな騒ぎ足りないようだから、あと2曲だけやります」

この言葉と同時に曲は始まり会場はモッシュとダイブの嵐に。

そして最後の曲の前奏で僕が静かに喋り始めた。

 

「長年待たせてしまいすいませんでした」

「僕たちが今日このステージに立てたのは、ファンや仲間の支えがあったからです」

「本当にありがとうございました」

「僕たちはみなさんのおかげで一歩踏み出すことができました」

「そして僕たちハイテンは今日このステージで解散します」

 

会場からは驚きの声から鳴き声まで響き渡った。

 

「僕たちハイテンは、たけし無しでは成り立ちません」

「でも最後にケジメはきっちりつけときたかった」

「待ってくれてたファンや仲間のため」

「最後はかいとに僕たちのタスキを渡します」

「こいつと一緒に歌って、みんなで騒いでハイテンを終わらせます」

「今かいとはバンドやってます」

「きっとたけしや僕らの思いを背負って進んでくれるはずです」

「応援してやってください」

「ありがとうございました!ハイテンでした!」

 

このちょっと暗い感じのMCから想像できないくらい最後の曲は盛り上がり、僕らの夢だったZepp Tokyoでのワンマンライブは大成功。

同時に長い沈黙を破って再始動したバンド活動に終止符を打った。

 

THE END

 

最後に

今お前たちには大切な人はいるか?

音楽は好きか?

パパが思うに人生って大切な人と、好きなことがあれば楽しく生きていけると思う。

お前たちにとって大切な人は、お前たちのことも大切に思ってくれているはず。

お前たちが好きなことは、お前たちを動かすパワーをもってる。

 

大切な人、好きなこと、この2つを大切にすればきっと楽しく、幸せな人生になるだろう。

あれもこれもと欲張れば欲張るほど、大切なものを見失ってしまう。

また、大切な人はいつかいなくなる。

もちろん自分もいつかいなくなる。

大好きなアーティストだっていつかいなくなる。

出会いがあれば別れもある。

得るものがあれば失うものもある。

何が起こっても不思議じゃないのが人生。

 

平成という年にパパの大好きなアーティストが5人亡くなってしまった。

ライブに行くチャンスはあったけど、「また今度にしよう」という思いが、後悔として今も心に残ってる。

大好きなアーティストの引退もあった。

「いつかライブ行きたいな」って気持ちはあったけど、今は後悔という気持ちだけが心に残ってる。

 

もう一度伝えておくけど、人生は何が起こっても不思議ではない。

これは音楽に限った話じゃない。

いろいろなことに言える。

 

パパにはやり残したことがある。

欲張り過ぎてたくさんの後悔をした。

行動しなかった結果、泣きたくなるほど辛い思いもした。

だからこそパパは気持ちを切り替えて、1日1日を大切に生きて、少しでも後悔の少ない日々を過ごせる努力をしてる。

 

人生なんていつ何が起こるか分からない。

だから「今何をするべきなのか?」を考えろ。

今しかできないことがあるはずだから。

次にライブがあったら行こう。

また暇だったら会おうね。

明日から頑張ろう。

そんなこと言ってたら次はないかもしれない。

それが人生というもの。

人生は一度きり。

お前たちは毎日を全力で生き抜いて、少しでも後悔が少ない人生にするんだぞ。

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